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一覧夏目漱石の予言 【第4回】―文学の使命 ―
半藤 英明(はんどう ひであき) 熊本県立大学 学長
生ある限り、人は己の人生を主役として生きる。この人生の本質に漱石はこだわったと言える。明治の御一新とともに獲得した西洋的な個人主義の思想を深めていけば辿りつくであろう、難しくない帰結である。
漱石は個人主義を幸福の基礎とし、生来の自由に基づくものであるとした。ただ漱石は、個人主義が行き過ぎれば秩序が迷走し、人倫が荒廃することを予言する。大正3年11月、学習院で講演した「私の個人主義」のなかで「自己本位」を貴びながらも、もし人格のないものが無闇に個性を発展しようとすると他人を妨害するし、同じく権力を用いようとすると濫用に流れるし、金力を使おうとすると社会の腐敗をもたらすと説いた。なるほど現代社会に見られる愚かな事件や事故は、個人や自由をこの上なく自分本位(実は自分勝手)に進めた結果だと見えるものが殆どである。世の中には不信感や憎悪が増大しているが、それを諦念や虚無感にまで変えてはならない。私たちは漱石の予言を今日の戒めとして歩まなければならないのではないか。しかも、かの講演の驚くべきは、個人の幸福の基礎となるべき個人主義が個人の自由に基づきながらも、各人の享有する自由とは国家の安定に左右されると述べたところである。国の平和が保たれなければ自由に基づく個人主義は制限されるという考えは、徳富蘇峰が民本主義から国家主義への変節だと非難された不評の言説に通底する理論的構造を備えている。それもまた踏まえ、私たちは個人と自由とを考えなければならない。
文芸は日常からは生まれない、非現実がもたらす創造物であると思う。非現実の創造物は、おそらく知性によって支えられる。知性とは冷徹なる分析的精神である。分析的精神は人間の本能として本質の深奥へと向かう。ものごとの本質は普遍的な価値を持ち、人間の本能がそれを求める。文芸は文学たる顔を持つとき、あらたに光る。
漱石から学ぶ限り、文芸とは作家から読者への想像力の移転である。文芸を通して作家と読者が対話するのである。作家は狙い定めた動機を内容にふくらませて文章に形式化し、作品として読者に届ける。それを読者が受け止めて、自ら培う認識へと還元する。文芸とは、いわば内容と形式の連環・ループである。表現者である作家には想像力と文章力が必要であり、これが作家の力量である。享受者である読者にも想像力と理解力が重要であるが、よき理解者であろうとする意欲も肝要である。そうであると想像力は養われ、後からついてくる。そうした環境のなか、文芸の価値を紐解き、真贋に寄り添う学問のなかで「文学」に不朽の生命を吹き込み、社会の信頼の基盤を育む人々がなくてはならない。複雑で厄介な社会の変容に応える文学の使命を果たす人こそは、研究者という街路灯である。