連載
一覧力学の交差点
本橋龍郎 (もとはし たつお) 元 日本大学理工学部教授(~2014年)
だがそれは机上だけではなく、身近のいたるところに存在し、私たちの生活と密接に隣り合う学問なのだ。
これは「流体力学」の専門家が誰もが一度は感じたことのある例をもとに、力学を分かり易く解説するシリーズである。
飛行機はどのようにしてソラを飛ぶのか(飛行の原理)
多くの人が飛行機の飛んでいる姿を見て,必ずといっていいほど,次のような疑問をもつ.それは,「あんな大きな飛行機が,どのような原理で飛ぶことができるのだろうか?」という事である.一方,多くの人が,その原理の説明を何回も聞いているような気がしているが,あらためて考えてみると,さてどんな説明であったか判然としないのである.よく聞いた説明は,小中学校の理科の先生によるものかもしれないが,何かはっきりと思いだすことができないのである.なぜだろうか? 十分には納得してないからではないか? どうも説明が素直に納得できない.なにか少しおかしい.そんな残存感のようなものが残るのであろう.
よく聞いた説明は大体以下のようなものである.前縁の少し上流にあった流体は前縁で二つに分かれ,上に凸の翼上面に沿って流れ,後縁で下面を流れてきた流れと合流する.翼上面に沿った長さは上に凸の形状から下面(多くの翼型では下向きにも少し凸である)に沿った長さより長い.前縁付近で別れた流れが同時に後縁で合流すれば,上面上の流れの速度の方が下面の速度より大きくなる.良く知られた「ベルヌーイの定理」によれば,速度の速いところの圧力は,速度の遅い所より低い.したがって,上面と下面に働く圧力に差異が生じ,翼を持ち上げる方向に力が働く.
この説明の間違いにつては,『続 物理の散歩道』[ロゲルギスト著(1964)p.151~p161]で今井功先生が指摘している.前縁付近で上下に分かれた流れが後縁で同時に合流することはないことを可視化の写真で示している(図1).さらに,今井先生は流線曲率の定理を用いて,「翼の存在が気流を下方に押しやるため,翼にはその反作用として上向きの力,すなわち「揚力」を発生する」と説明されている.翼面上の速度や圧力の関係をうんぬんするより明快である.
[図.1]
出典:『続 物理の散歩道』今井功(文中参照)
1の位置にあった煙の筋は,4の位置では,左右に大きく位置がずれている.
前縁付近に同時に出された煙(1の煙)は,後縁で同時に到着するわけではない.
さて,翼の存在が流れを下向きにするのはどうしてだろうか.固体でできている翼を流れは通り抜けることはできないことは明白である.では,翼面上の圧力は翼周りの流れとどのように関わりあっているのか.
ところで,翼の周りの流れを考える時,多くの人が翼の表面では空気は滑っていると思い込んでいる.そうではない.もう100年以上も前(1904年)にドイツのゲッティンゲン大学のプラントルは,物体表面近傍の薄い粘性の層(境界層とよぶ)の中で,速度は急激に降下し,物体表面では流体の速度が常に0になっていると考えた.この考え方は,最初はなかなか世の中に受け入れられなかったが,徐々にその正しいことが認められた.
今では,翼面上での速度はもちろん0であると考えられている.さらに,境界層は非常に薄いため,翼面上の圧力分布は,境界層の外側の流れの作る圧力分布に等しい.確かに翼表面上で速度は0になるが,圧力は境界層の中を素通りして境界層外側の流れによって決まるのである.一方,考え方を転換すれば,境界層の外側の流れは境界層によって決まるとも考えられる.薄い境界層が何らかの要因で翼表面から剥がれてしまったり,境界層の中の流れが乱れていたりすると翼表面上の圧力分布も境界層外側の流れの影響を受ける.「境界層の中の流れ」と「境界層外側の流れ」はお互いに影響し合っているのである.
境界層は翼表面を覆う非常に薄いシートのようなものだと考えると少し分かり易い(図2,図3).このシートは翼表面から剥がれたり,一旦剥がれたシートがまた再付着したり,まことにさまざまな挙動を示す.境界層の挙動に変化を生じさせる要素は,たくさんある.中でも境界層中の速度が乱れているかどうか,翼表面の凸凹がどの程度か,外側の気流の中に存在する速度や圧力の乱れ,流体運動の無次元指標であるレイノルズ数の大きさ,翼表面の形状変化による曲率(曲がり具合の指標)などが挙げられる.最終的には,流れが上面に沿って流れる場合に翼の性能が一番良いと考えられる.剥がれたりすると性能は悪くなる.
[図.2]
出典:『飛行の原理』谷一郎,岩波書店
翼の長さ(翼弦長さ)に比べると,ドットの影?が付けられた境界層は,いかに薄いかが分かる.
下記の境界層内の速度分布からも翼に沿ったスケールに比べると厚さ方向のスケールが小さいことが分かる.
[図.3]
出典:著者(『基礎 流体力学』産業図書)
空気の流れの中に,流れに平行に置かれた平板上の境界層の発達を表す.
流れは,前縁ではなく,前縁付近の翼下面にある一点(淀み点と呼ぶ)に到達したあと,上下に分かれて流れていく(もちろん境界層の外側を流れていく!).淀み点では,翼は流れてきた流体の全運動エネルギ(動圧と呼ぶ)をまともに受けるため,翼表面上で一番大きな圧力を示す.速度はほとんどない.下面では,淀み点での圧力が駆動力となって気流を後縁まで流しさる.しかし,揚力の発生機構で大事な流れは下面の淀み点から前縁を回っていく上面の流れである.流れが前縁を回るためには,翼上面の前縁直後で圧力が劇的に下り,流れを強制的に上面に引っ張り込む必要がある.ものすごい負の圧力で上面に流れを吸い込み,後縁に向かって押し流す.まさに翼型の真骨頂である(図4).境界層が剥がれることがなければ,翼に沿って後縁まで流れて滑らかに翼から離れていく.しかし,上記のさまざまな要因の微小な変化で境界層が剥がれたりして,翼面上の圧力分布が変化する.前縁を回ってすぐに流れが剥がれてしまえば,「失速」と呼ばれ,揚力が急減する.
[図.4]
出典:『続 物理の散歩道』今井功
今井先生のおそらくポンチ絵だと思われる.現象が少し強調されているが理解しやすいのではないか.
「下向きの流れを作る道具」は,翼の専売特許ではない.例えば,翼の替りに翼を取り囲むような大きな渦を考えることができる.翼の前縁で上向きの流れを作り,後縁付近で下向きの流れを生成する渦を考えることができる.渦の強さΓ,気流の速度U,気流の密度ρを用いて,揚力はL=ρUΓと表されることはクッタジューコフスキーの定理として有名である.
「揚力の発生」の機構を長々説明したが,要は翼によって翼周りに下向きの流れが発生する.その反力として「揚力」を考えるのが簡明である.また,「下向き流れの発生」は翼表面上の境界層が大きな役割を演ずることを忘れてはならない.
引用文献・参考文献
・ロゲルギスト『続 物理の散歩道』岩波書店
・本橋龍郎『基礎 流体力学』産業図書
・谷一朗『飛行の原理』岩波書店
編集後記:
「飛行機がなぜ飛ぶのか、現在でも理由は分かっていない」という話は、現在でもたまに見かけたりします。
平成も終わろうかという2018年。普及しきっているインフラに対して分からないことがあるのかと、その事実こそが恐ろしくも魅力的に感じられたりします。
そんな飛行機ですが、浮力や揚力といったものでその理論は確立しているとはいいつつ、どうやらそれだけでは解明できない何かがあるらしいのです。
仕事柄、日本全国を飛び回っている私。この話を初めて聞いたときから「どこかで使えないものか」と考えていました。そんなことで今回、私が書籍の編修を担当しました先生に、是非にということで「力学」の専門家という視点からこのテーマに挑んでいただくことになりました。
少々歯ごたえのある内容だったかと思いますが、いかがでしたでしょうか。
ふだん当たり前のように通り過ぎ、意識しないようなところに力学をはじめ色んな理論が潜んでいると考えたら、毎日が今よりちょっとだけ面白くなりそうじゃないですか?