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一覧万事万物みなバランス原理のある「箸文化」意識【第2回】
馬 彪 山口大学大学院東アジア研究科教授
「現代学者で最も偉大な成績」を持つイギリスの歴史学者のA・J・トインビー氏において東アジア文明には中国の「親」文明と日本・朝鮮・ベトナムなどの「子」文明とした定義がある。その説には異なる意見があるかもしれないが、本論にある「箸文化圏」の話にはあたるだろう。ゆえに、これから「親」文明たる中国の箸文化の実例を主として述べていきたい。
アルファベットと違い、漢字は必ず二部の構造がある。例えば「字」は「宀」と「子」の上下構造、「明」は「日」と「月」の左右構造があり、その文字構造のバランスをとることは大切で、もしその構造を崩せば書道に合わないということのみならず、「日」を「曰」と間違うこともある。
ギリシャ神話では,大神ゼウスの命令により,巨人アトラスが天を支えている。神が宇宙を造る西洋説と違い、箸文化圏の東アジアには陰陽という二つの要素を含めての太極によって宇宙の原点だと考えてきた。『日本書紀』は,世界の生成を,陰陽二元論という中国哲学の借り物をもって説明することから始まる。そして,天と地が成って,その中に「神聖(かみ)」が生まれたとして(『日本書紀』第1段)。
西洋説と逆に、自然の中に神が生まれたという思想である。その根拠となった中国の「太極図」(宇宙万物生成図)には、太極原点から陰と陽という互いに対立する属性を持った二つの気が生まれ、万象万物の生成消滅という変化はこの二気によって起こり、その順によってモノとヒトが生じると描かれている(図1)。
図1 「太極図」(宇宙万物生成図)
(宋)朱震『漢上易傳卦圖』より
つまり、陰陽両界のバランスがうまくとれれば万物は順調、そのバランスが崩れれば不調と考えるのである。このような宇宙生成論をお箸にたとえると、太極原点は二本箸の間には必ず交差点であり、陰陽両界は二本の箸であり、万象万物はまさに二本のお箸で対応されるすべての料理であろう。宇宙万物生成論とはちがい、お箸のバランス認識は庶民もつねに体験していることである。
大自然界において、天(陽気)と地(陰気)のバランスがとれれば、凡ての生態系(無機・有機・植動物)が生存できるという古代原理は、意外にも今日の科学的な自然界のエネルギー代謝のバランス原理には合っている。
太陽光(=陽)のエネルギーは地表(=陰)の植物に至り、光合成によって生成される有機物の化学エネルギーが草食動物や微生物を育成する。動物が代謝や運動をしながら呼吸を行うことによって、そのエネルギーが熱となり、赤外線として宇宙空間(=陽)に放出される。したがって生態系(=万事万物)においてはエネルギーの(=陰陽二界の)出入りのバランスをとる原理がある。
古来の暦法というカレンダーには、太陽系によって計算する二十四季節もあれば、月による潮汐にしたがう朔日(一日)や望日(十五の日)もある。いわゆる陰陽暦である。
数をかぞえると、必ず天を表す10数字と地を表す12数字、いわゆる「十天干」と「十二地支」を組み合わせた60を周期とする独特の記数法がある。暦を始めとして、時間、方位などに用いられる。
数学はどんな民族にも最も古い学問の1つであり、中国伝統数学においては〇~九の十進法を使う一方で、同時にすべての数を陰数と陽数に分けて使っていた。いわゆる「一正一負、陰陽之象也」である(図2ab)。陰数と陽数という数学概念は、他の民族の負・正数と同じように見られるが、実際には上述のように、中国の陰と陽という概念は、数学のみならず哲学的なものである。
ゆえに、17世紀ドイツの哲学家・数学家のゴットフリート・ライプニッツ氏は、いにしえの中国人はなぜ「- -」陰爻(こう)と「―」の陽爻という2つの符号によって万事万物を計算することができたのかということに興味を持ち、1 と 0 を使って二進法を表した。
その二進法が今日普及しているパソコンの基本原理となったのは周知のことであるが、いにしえから中国人はその二進法と十進法との二つの原理を同時に使っていたということが、数学分野のバランス意識現象ともいえよう。
図2a【左】和算家の村井漸(江戸)印刷した中国の「算経」と彼の序言
図2b【右】「夫籌肇于太極之一、太極立而正負判矣。正負判而奇偶生矣。奇偶生而乘除起矣。一正一負、陰陽之象也,一乘一除消長之符也。」
中華料理屋さんは日本のいたるところに存在する。中華料理は数多くの流派(四川料理・粤料理・山東料理・淮南料理など)にわかれているが、共通的な基本の特徴もある。それは西洋料理の高脂肪、高蛋白質、高カロリーという特徴とはちがい、中華料理は肉類と野菜類の均衡を大切にしているということである。たしかに、アブラを使っていても殆どが植物油であり、一見油っぽい料理だがお茶とセットで食べる習慣があるので、特に肥満のもとになるとはいえないだろう。
図3a【左】男性器みえる陽剣
図3b【中】女性器みえる陰剣
図4【右】2010年に奈良東大寺大仏殿内で保存している国宝2本の金銀荘大刀「陽劔」「陰劔」だとわかり、これは同寺と元興寺文化財研究所が2010年10月25日発表したX線写(http://www.asahi.com/culture/update/1025/OSK201010250116.htmlネット版朝日新聞記事より)。
日常用品でいうと、いにしえの中国人は、自分の周りで使っているものはよく陰と陽とのペアでそなえる。たとえば、成年男子なら身に携帯する剣は、よく陰剣・陽剣とも用意することが出土品によってわかった(図3)。日本でも陰剣と陽剣とのペア剣を発見された(図4)。
今日の南京錠というパドロックは、いにしえには刺す方の鍵は「牡」、刺される方の鍵は「牝」と呼んだ。やはり、陰と陽、牝と牡というペア概念は日常の生活に溢れていたようである。
人間は生きるときだけではなく、死んだときにもお墓にも陰と陽とをはっきりあらわすモノを置かなければいけないことになっている。例えば、2000年前の前漢馬王堆漢墓から出土したお棺を覆う幡には右に太陽(日)、左に太陰(月)が描かれていた(図5ab)。
図5a【左】カラスある太陽(黄石林・朱乃誠著、高木智見訳『中国考古の重要発見』日本エヂィタースクール出版部2003より)
図5b【右】 ヒキガエルある太陰(黄石林・朱乃誠著、高木智見訳『中国考古の重要発見』日本エヂィタースクール出版部2003より)
上述のすべてのモノのように、二本の箸のように二分化できる思惟は、当然ながら中国人の抽象的な精神面にも浸透している。典型的な例で「塞翁が馬」をあげてみると、前漢の『淮南子』「人間訓」に昔、塞翁の馬が隣国に逃げてしまったが、名馬を連れて帰ってきた。老人の子がその馬に乗っていて落馬し足を折ったが,おかげで隣国との戦乱の際に兵役をまぬがれて無事であったという話である。その物語は、以下の通りである。
昔、中国北方の塞(とりで)近くに住む占いの巧みな老人(塞翁)の馬が、胡の地方に逃げ、人々が気の毒がると、老人は「そのうちに福が来る」と言った。やがて、その馬は胡の駿馬を連れて戻ってきた。人々が祝うと、今度は「これは不幸の元になるだろう」と言った。すると胡の馬に乗った老人の息子は、落馬して足の骨を折ってしまった。人々がそれを見舞うと、老人は「これが幸福の基になるだろう」と言った。一年後、胡軍が攻め込んできて戦争となり若者たちはほとんどが戦死した。しかし足を折った老人の息子は、兵役を免れたため、戦死しなくて済んだ。
そこから庶民たちにまで知られる「塞翁失馬」という四字熟語が生じ、「人間万事塞翁が馬」の意で、人間の幸(福、吉)と不幸(禍、凶)は常にペアであり、福と禍は、一定の条件の下で、互いに転化することをたとえる。
したがって、いにしえから中国人の考えでは、世の中にある万事万物は福も禍も、善いも悪いも、強いも弱いも永遠なものはなく、中軸を持つペア的な存在の両端は、互いに転化することのみによって永遠となるのである。人間のできることは、対立している両端のあいだにいかなるバランスを維持するかということである。次回にはいにしえに中国のいわゆる「天人の関係」にみられる人間と事物とのバランス関係とその認識を述べたいと思う。
引用文献・参考文献
◆『周易』、『淮南子』、『算経』、『日本書紀』
◆A・J・トインビー著、下島 連等訳『歴史の研究』第一巻、「歴史の研究」刊行会、1966年
◆ルネ・ブーブレス『ライプニッツ』橋本由美子訳、白水社、1996年
◆黄石林・朱乃誠著、高木智見訳『中国考古の重要発見』日本エヂィタースクール出版部2003年