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一覧「美しい国」の構造分析【第3回】―日本農村社会学再考―
中筋 直哉 (なかすじ なおや) 法政大学社会学部教授 地域社会学・都市社会学専攻
第3回:理論としての日本農村社会学(続)
鈴木栄太郎と有賀喜左衛門によって戦間期に創始された日本農村社会学は、「皇国」日本の無条件降伏によって存亡の危機に瀕することになった。皇国史観に与したわけではなかったが、総力戦による国民と国土の壊滅を説明するには、それはあまりにも無力だった。
ところが歴史は意外な方向に進んだ。占領軍が統治のために日本農村社会学に関心を持ち、農村研究者たちに協力を求めたのである。京城「帝国」大学から引き揚げてきた鈴木は、他の社会学者や文化人類学者とともに占領軍に雇われた。もっともR.ベネディクト、E.H.ノーマン、G.P.マードックといった名前を挙げれば、この事態は容易に理解できるだろう。
こうした空気を読んだのか、戦時体制に協力していた東京帝大社会学研究室も、在野の研究者だった有賀を講師に招聘した(ちなみに鈴木は社会学科から倫理学科に転科、有賀は京都帝大法学部から美術史学科に転科)。そして戦争中、中国の占領地域において統治のための現地調査に携わっていた福武直(1917-1989)が、新進気鋭の助教授として、日本農村社会学のみならず戦後日本の社会学全体の王座に昇ることとなったのである。
社会学者としての福武の全体像は、著作集に本人の自伝が収録され、高弟蓮見音彦の行き届いた評伝もあるものの(『福武直』2008)、簡単には捉えにくい。本論の趣旨に限って言えば、戦前にはM.ウェーバーの学説研究者だった福武が、なぜ国策調査に積極的に関わり、敗戦後流行のウェーバー研究に復帰せずに日本農村社会学を志したかが分からない。有賀のように自身が村の「オーヤ」だったわけでもない。後世の私たちからみれば、やはり空気を読んだとしか言いようがない。
福武は日本農村社会学を価値転換することで、この王座を盤石なものとした。すなわち鈴木や有賀にとって積極的に評価し、保護、育成すべきものでさえあった家や村を、戦後日本の発展にとって克服すべき課題と読み替え、その研究方法に「構造分析」の名を与えたのである。
福武の構造分析には、ウェーバー研究者として出発したにもかかわらず、ウェーバーの影響はほとんど見られない。むしろごく安直に理解されたマルクス主義歴史観に基づいている。だからそれは正統なマルクス主義経済学者から厳しく批判される一方、弟子たちはマルクス主義的な精緻化に固執することになってしまい、最終的に世紀末におけるマルクス主義の世界的失墜によって「前世紀の遺物」と成り果てた。
しかし、あらためて読み直してみれば、非常にユニークな社会理論であることが分かる。まず福武は有賀の同族理解を受け入れた上で「同族と組の循環理論」を修正し、同族の強い村(同族結合)から同族が弱く、組しかみられない(講組結合)村へ、という歴史的発展段階を設定した。次に有賀より簡略化された現地調査によって、同族結合の村に同族が弛緩する契機を探り(福武は「構造的展開」と呼ぶ)、講組結合の村に同族がなおも残存する理由を探った(福武は「停滞的様相」と呼ぶ)。そして、村は構造的展開によって内発的に近代化するが、遅々としていて、かつしばしば停滞的様相に陥るので、構造的展開を促進するための、合理的、科学的な農業政策、地域政策を外挿することが必要だ、と結論づけた。構造的展開の動因は市場経済の浸透(福武は「社会化」と呼ぶ)だから、政策は村びとを企業家に育てるものとなる。この理論が第1回で述べたように「基本法農政」の根拠と言われるのは、容易に理解できよう。
たとえ安直なマルクス主義であっても、福武が日本農村社会学そして戦後日本の社会学に社会変動論、経済、社会、政治の複合的視点、政策への応用力を持ち込んだことは豊かな果実を生み出した。この理論の下、福武は他の社会科学分野との共同研究を次々と主宰した。たとえばその1つである『アメリカ村』(1953)は、法学者加藤一郎、経済学者大内力(後の東大紛争時の東大執行部!)との共同研究である(前近代史部分を若き日の網野善彦が書いている!)。
福武と併走するように、従来の日本農村社会学も歴史に敏感な研究を生み出していった。鈴木、有賀と福武の間の世代の喜多野清一(1903-1982)は、同族をウェーバーの「家産制」概念を使って世界史的に理解すること、ミクロな生活の次元ではなくマクロな制度の次元で理解することに腐心した。一方有賀はこれを批判し、ウェーバー的な世界史、制度史によらない、日本固有の家の歴史を書き続けようとした。それは有賀の学問的舎弟である中村吉治(1905-1986)や、中根千枝や村上泰亮のイエ社会論へと受け継がれていった。
さらに日本農村社会学に対して、福武が架けた橋を通って外から大きな衝撃を与えたのが、大塚久雄(1907-1996)の『共同体の基礎理論』(1955)である。マルクスの『経済学批判要綱』とウェーバーの『一般社会経済史要論』を独自の視点で融合、換骨奪胎したその理論は、福武の安直なマルクス主義に飽き足らない農村研究者の関心を強力に引き寄せた。
ここで理論の話をいったん終えて、次回は日本農村社会学のフィールドを訪れてみよう。