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一覧農業会計の必要性と農業生産法人の発展【第1回】
田邉 正 (たなべ ただし) 松山東雲短期大学 准教授 桂 信太郎(かつら しんたろう) 高知県公立大学法人高知工科大学経済・マネジメント学群および大学院起業マネジメントコース 教授
第1回 「日本の農業会計と国際会計基準の潮流」
第1回は、「日本の農業会計と国際会計基準の潮流」というテーマのもと、京都大学農学部農業簿記研究施設による農業会計、国際財務報告基準(IFRS: International Financial Reporting Standards)へのコンバージェンス、国際会計基準(IAS: International Accounting Standards)第41号「農業」について説明します。
私が農業会計に関心を持ったきっかけは、前々任校の学長に、地域に貢献できる研究をしてもらえないかと打診されたことが始まりでした。当時、税務会計の分野でパス・スルー課税を中心に研究していましたが、地域に貢献しているとは言い難い研究内容でした。そこで、米どころ(新潟県長岡市)という地域性もあり、農業会計でもという軽い気持ちで足を踏み込んだら、この8年間、どっぷりと農業会計を中心に研究することになりました。
まず、農業簿記のテキストを手に取ってみましたが、勘定科目及び会計処理、帳簿などについて企業会計と異なる部分が多々あり、最初から学び直さないといけない有様でした。そして、学んでいるうちに、企業会計と農業会計では棲み分けが出来ており、企業会計の学問分野から、農業会計の学問分野というのは、ある意味、聖域ではないかということに気付きました。さらに、その聖域が崩れつつあるということにも気付いたのです。
現在、公益財団法人財務会計基準機構企業会計基準委員会(SABJ: Accounting Standards Board of Japan)から公表される企業会計基準が、わが国の企業会計基準とされています。しかし、わが国には農業会計基準というものは存在しません。研究者の一人は、農業会計基準又は農業会計原則の創設を切望していましたが、具現化されませんでした 。したがって、農業活動における会計処理は、企業会計に準拠することになります。しかし、農業会計では、生産物の生産を費用と収益に認識して計上する必要がありますが、企業会計と異なる会計処理をしなければ、費用と収益が適正に対応されません。したがって、企業会計と異なる会計基準を要することになります。
1927年に、京都大学農学部農林経済学科農林経済調査室が設置され、そこで、農業計算上の調査及び研究がなされてきました。その後、58年に農業簿記研究施設が設置され、ここで、簡易農家経済簿及び自計式農家経済簿が研究されます。これが京都大学式農業簿記として一般的に知られ、農業簿記として普及していきます。従来、この農業簿記研究施設で農業会計の研究が進められ、企業会計の研究者が、農業会計の研究を行うということはほとんどなかったようです。しかし、95年に改組によって、農業簿記研究施設は、研究科生物資源経済学専攻に組込まれることとなりました。この改組によって、京都大学による農業会計の研究は衰退していくことになります。
67年から、農業簿記研究施設では、『農業計算学研究』という論集が発表されます。当初、『農業計算学研究』では、農業簿記の確立から、いかにして会計の仕組みを農業活動に適用すべきかということを論じています。特に管理会計の分野では、第一次産業において生産管理をいかに適用すべきかが問われています。例えば、論集の中では、企業で利用されている財務分析を農業に適用することを提案しています。また、ある研究者は、標準原価計算を農業にいかにして組込むか、さらに、直接原価計算を農業に適用することについても論じています。当時としては、単に学術的だけではなく、さらに農業活動に適用することを目指した画期的な研究だったといえます。
会計基準のグローバル化によって、IFRSへのコンバージェンスの波が、わが国へも押寄せています。すなわち、わが国の企業会計基準とIFRSとの収斂です。2007年8月に、わが国の企業会計審議会と国際会計基準審議会(IASB: International Accounting Standards Board)との間で、東京で合同会議が開催されました。この会議の内容は、08年までにIFRSとわが国の会計基準との主要な会計処理の差異をなくし、11年までには、その他の会計処理の差異も調整するというものでした。いわゆる東京合意です。そして、09年6月30日に、金融庁企業会計審議会企画調整部会から、「わが国における国際会計基準取り扱いについて(中間報告)」が公表されました。この報告は、わが国のIFRSへの収斂に向けた日本版ロードマップであり、12年にIFRSの強制適用の是非を判断して、最短で14年に強制適用を予定するというものでした。しかし、わが国では、東日本大震災での製造業のサプライ・チェーンが被害を受けているという理由から、14年の強制適用は見送られることになりました。
一方、国際的な視野で農業会計をみれば、01年に、IASBからIAS第41号「農業」が公表されています。IAS第41号は、農業活動による会計処理を規定しているわけですが、大規模な農業活動のみに限らず、小規模な農業活動にも財務諸表の作成のために準拠しなければならないとしています。したがって、コンバージェンスによって、IAS第41号は、わが国の農業活動における会計処理に対して影響を及ぼすと予測されます。
IFRSと米国財務会計基準書(SFAS: Statement of Financial Accounting Standards)の動向を鑑みれば、企業会計に限っては、コンバージェンスは将来的に可能かもしれません。しかし、IAS第41号にもとづいて、わが国の農業会計は、これから会計基準を整備する必要性があります。
第二次産業では、経営分析、標準原価計算、直接原価計算、原価企画、活動基準原価計算、活動基準管理、バランスド・スコアカードなどを適用することを検討します。大規模な企業ほど、これらの原価管理などを詳細に分析すると考えられます。しかし、ある研究者は、農家を営む個人事業主に複式簿記を定着させようと努めたが、その姿勢が消極的であり、定着させることが困難であると述べています。このように、農業経営者には、会計について「どんぶり勘定」でよいという考えをもつ者も少なくありません。ただ、これから農業経営の法人化が進めば、農業生産法人も複式簿記を導入しなければなりません。また、大規模化及び効率化を目指す若手の農業経営者も少なからずいるはずです。したがって、第二次産業に適用されてきた原価管理などが、農業経営にも本格的に適用される日は近いのではないでしょうか。
第2回は、実地調査にもとづいて、「農業経営者の実態と会計的意識の分析」というテーマで述べたいと思います。
【参考文献】
菊池泰次「経営分析における成果指標とその役割」『農業計算学研究』第3号 1969年
楠本雅弘『複式簿記を使いこなす-農家の資金管理の考え方と実際-』農文協 2005年
阿部亮耳「農業経営における標準原価計算」『農業計算学研究』第10号 1977年
阿部亮耳「農業経営における直接原価計算」『農業計算学研究』第11号 1977年
阿部亮耳「会計公準、会計原則と農業会計」『農業計算学研究』第18号 1986年
阿部亮耳「農業簿記研究施設32年間の回顧と展望」『農業計算学研究』第22号 1990年