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原発から保育園まで、多様化する迷惑施設と当事者の優位化【第4回】

野波 寬 (のなみ ひろし) 関西学院大学 社会学部

 社会全体(みんな)のために必要な公共施設。それは分かるけれど、でも我が家の近くに建てられるのはイヤ。
 いわゆる迷惑施設は、かつて原発や廃棄物処理場などが代表例だったが、最近は保育園や公園など、ご近所の身近な公共施設まで“迷惑施設化”する例が散見される。迷惑施設が多様化した背景とその解決策について、社会心理学や道徳心理学の研究をもとに解説してもらう。
 キータームは「NIMBY問題」と「当事者の優位化」、そして「トロッコ問題」。

第4回:「当事者の優位化」が生じる心理的な背景:地層処分場を例として

 前回、迷惑施設には「少数を犠牲にしてでも多数を救うべきか、またはその逆か」というトロッコ問題の構造があることを解説しました。つまり、一部の地域の人々に迷惑施設の立地に伴う負担を押しつけ、一方でその施設が生み出す利益は大勢の人々が享受する、という構造です。原発が地元にもたらすリスクと風評被害、その反面、原発が生み出す安価で大量の電力、という例を考えてみれば容易に理解できますね(原発には後々、老朽化した際の解体と撤去に巨額の費用がかかるので、実際にはその電力はちっとも安くないのですが)。
 
 原発は、立地地域に様々なリスクをもたらす厄介な公共施設ですが、実は国全体のレベルでも非常に困った問題を引き起こします。放射性廃棄物というとんでもないゴミが発生することです。原発はウランを燃やして発電するのですが、どんなものでも燃やせば燃えガラや灰が出る道理で、ウランを燃やした後にも燃えガラが残ります。何十年から何百年にもわたって強い放射能を持ち続ける厄介きわまりない燃えガラ、高レベル放射性廃棄物です。
 
 50年以上にわたり全国で50基以上の原発を稼働させてきた日本では、いま現在すでに、大変な量の高レベル放射性廃棄物がたまってしまいました。現在、それらの多くは原発の敷地内で一時保管されていますが、各地の原発はいずれもそろそろ老朽化し、遠からず稼働停止、解体と撤去です。そうすると、敷地内の放射性廃棄物をどこかに移送しなければなりません。地元はもともと、原発の停止後は放射性廃棄物をどこかに移すことを条件に原発を引き受けていますから、置きっぱなしにはできないのです。
 
 さて、もうすぐ全国各地の原発から出てくるこのゴミを、どうすればいいでしょう。こんな厄介なゴミは、海外に出すことも海に沈めることも国際条約で禁止されています。ロケットで宇宙に捨てる案もありましたが、放射性廃棄物を満載したロケットがもし事故など起こして空中で爆発四散したら……考えるだに恐ろしい、危険すぎてこの案もダメです。
 
 技術的に可能な方法は、高レベル放射性廃棄物を一か所に集め、地中深くの岩盤層に閉じこめ、放射能が自然におさまる何十年、何百年先まで置いておくこと、これしかないと決着がついています。高レベル放射性廃棄物を地下深くに埋める最終処分場―これが、地層処分場です。ヨーロッパ各国も米国も地層処分場の立地に乗り出しており、フィンランドではすでに建設中、フランスやスイスでも立地場所が決定しつつあります。
 
 日本では、どうでしょうか。立派な迷惑施設である地層処分場を引き受けてくれる自治体や地域は、なかなか現れません。地層処分場の立地手続きなどを定めた法律(「特定放射性廃棄物の最終処分に関する法律」)が2000年に定められていますが、それ以来もう20年間、建設はおろか候補地の選定もいまだまったく進まず、が現状です。
 
 前回で説明したように、迷惑施設をめぐっては「当事者の優位化」(迷惑施設を建てるも建てないも、地元の人々や当事者の決定権が最も重視されるべきだ……という考え)が生じやすい。そこには、もし自分が当事者になったときのため、当事者の権利を優先するルールをあらかじめ確立させておくという「格差原理」と、「少数者、被害者の犠牲とひきかえに別の誰かが得をするような不公平は許されない」といった道徳的な判断、この2つが心理的な背景として存在する、これも前回で解説した通りです。
 
 地層処分場の立地をめぐっても、格差原理や道徳的判断にもとづいた「当事者の優位化」が生じています。地層処分場の立地は地元の同意を得て進めること―言い換えれば、地元の同意なしには決して進めないこと、当たり前のこの原則が正しくきちんと貫かれています。そしてその結果が、20年にわたり「いまだまったく進まず」なのです。
 
 「いまだまったく進まず」の状態が今後も続くと、将来はどうなるでしょうか。地層処分場が未着工のままだと、先ほど述べたように各地の原発が稼働を停止した跡地に高レベル放射性廃棄物が居座ることになるでしょう。行き場がないのですからどうすることもできません。全国あちこちで高レベル放射性廃棄物が地上に置きっぱなしという、なんとも不気味な事態が現出します。むろん、リスクも費用も、とんでもないことになります。そしてそのリスクや費用を負わされるのは、私たちの子どもたち、将来世代です。
 
 これが何を意味するか、おわかりでしょうか。地層処分場の立地には地元の同意を得ること―同意なく一部の地域やその住民に負担を押しつけるような不公平は許さないという「当事者の優位化」は、たしかに私たちの世代の中では、不公平を帳消しにします。しかしその代わり、未来に対して、将来世代に対して負担を押しつけるという不公平を発生させてしまうのです。原発の電力を利用した豊かな生活は私たちの世代に、その後始末は原発が停止した後の子どもたちの世代に、という具合に。大人だけで仲良く御馳走を食べあって、後始末や汚れ仕事を子どもに押しつけるようなものです。こんな不公平が許されるのでしょうか。
 
 お断りさせていただくと、地層処分場は「これから新しい原発を建てるか」とはいっさい関係ありません。「すでに発生させてしまった廃棄物をどうするか」の問題です。原発をもっと建てるために地層処分場をつくる、などということではないのです。また、「そもそも原発など建てた政府が悪い」といった責任論も、いまとなっては無意味です。責任を問うても放射性廃棄物はなくなりません。あえて問うなら、原発の電力を利用してきた私たち自身に責任がある、としか言えないでしょう。
 
 格差原理や道徳的判断といった心理的な背景から生じる「当事者の優位化」は、その行きつくところ結局、公益をもたらす(反面、立地地域には負担ももたらす)迷惑施設をどこにもつくることができず、私たちみんなが困るという共貧事態を招いてしまいます。あるいは地層処分場のように、将来世代に負担をかける世代間不公平を発生させてしまうのみです。この解決には、私たち相互の権利承認に根差す格差原理や、私たち相互の公平性にもとづく道徳判断に替わる、新しい判断原理が必要です。どのような原理が考えられるでしょうか。
 
 次の最終回、迷惑施設がかかえるNIMBY問題の解決につながる新しい判断原理について、説明いたします。

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野波 寬 (のなみ ひろし) 関西学院大学 社会学部 名古屋大学大学院文学研究科博士課程後期中退
同文学部助手を経て、現在、関西学院大学社会学部教授
主著:
『正当性(レジティマシー)の社会心理学』(ナカニシヤ出版, 2017)
『“誰がなぜゲーム”で問う正当性』(ナカニシヤ出版, 2017)ほか