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大人にこそ童謡を!【第3回】「童謡100年」の歴史と【今】

山西 敏博(やまにし としひろ) 公立 長野大学 企業情報学部教授

認知(アドラー)心理学の観点から、「童謡」の持つ“癒し”の可能性を探る。

「童謡100年」の歴史と【今】

 2018年は「童謡誕生100周年」の記念年でした。具体的には、1918年7月1日、児童雑誌「赤い鳥」が発刊され、そこに童謡が掲載されたことから、この年を「童謡誕生の年」として定めました。昨年がちょうど記念の年でした。
 
 「童謡(どうよう)」とは、広い意味では子供向けの歌を指します。
 
 狭い意味では、国内において大正時代の後期以降、子供たちに歌われることを目的に作られた創作歌曲を指しています。厳密には「創作童謡(そうさくどうよう)」と呼ばれています。また、海外での子供向け歌曲についても、同じような傾向をもつものを「童謡」と呼ぶことがあります。
 
 それでは、歴史的に「童謡」を見てみましょう。
 

(ア)大正時代初期以前

 古くは子供の歌といえば、いわゆる「わらべ歌」が主流でした。江戸時代には「童謡」は既に存在しており、その「童謡」は「わらべ歌」の一つであると考えられていました。その後明治時代に入り、「童謡」は「子ども用の歌」という意味で使われるようになりました。さらに、西洋から近代音楽が紹介され始めるようになると、学校教育用として唱歌、つまり「文部省唱歌」と呼ばれる多くの歌が作られるようになりました。これらは徳育・情操教育を目的として、主に文語体で書かれ、多くは日本の風景・風俗・訓話などを背景として作られていくようになりました。その中の代表的な曲としては、1911年(明治44年)『尋常小学唱歌(二)』にて発表された「もみじ」や、1914年(大正3年)に尋常小学唱歌としての第六学年用で発表された「ふるさと」などがあります。
 

(イ)大正時代後期

 このような考え方を主流としながら、「わらべ歌」や「子供用の歌」という意味で用いられてきた「童謡」という言葉に対して、鈴木三重吉が「童謡」は「子供に向けて創作された、芸術的な香りの高い歌謡」である、と新しく定義付けをしました。鈴木は1918年(大正7年)7月、児童雑誌『赤い鳥』 が創刊されるのをきっかけとして「芸術味の豊かな、即ち子供等の美しい空想や純な情緒を傷つけないでこれを優しく育むやうな歌と曲」を、子供たちに与えていきたいという想いから、そのような純粋な印象を持つ子供のための歌を「童謡」と名付けました。さらに当時は「子供たちが書く詩」も同じく「童謡」と呼ぶようにもなっていきました。このために「童謡」という語には1910年代以降、3つの考え方が根づくようになったのです。それは、
 
1.子供たちが集団的に生み出し、伝え続けてきたわらべ歌(=自然童謡、伝承童謡)
 
2.大人が子供たちに向けて創作した、芸術味にあふれた豊かな歌謡(=創作童謡、文学童謡)
 
3.子供たちが書いた児童詩
 
という考え方でした。このような考え方は、時の移り変わりによって変化を繰り返していくようになりました。
 
 創作童謡の先駆けとなったのは、創刊年であった1918(大正7)年の11月号に西條八十の童謡詩として掲載された「かなりや」でした。この歌は、翌年の1919年(大正8年)5月号に、成田為三が作曲をして楽譜を付けて掲載されたものとなりました。これまでの曲は子どもたち自身が歌うにはなかなか難しいものが多く存在していました。しかし、子供たちのための歌や子供たちの心をつづった歌、そして子供たちに歌うことを強制するのではなく、子供たちに自然に口ずさんでもらえる歌を作りたい、という鈴木三重吉の考えに、当時の多くの人たちが賛同しました。その結果、童謡を普及するための運動が活発化していき、同時に童謡を含んだ児童文学を普及していくための運動が全国に広まっていくことになりました。
 
その後、1919年には、斎藤佐次郎の『金の船』など多くの児童文学雑誌が出版されていき、最盛期には、雑誌数は数十種類になりました。中でも『赤い鳥』の北原白秋や山田耕筰、また、『金の船』(後に『金の星』として改題)の著者の仲間であった野口雨情と本居長世などが多くの曲を手がけるようになり、その頃には童謡の黄金時代が築かれていきました。そして、『赤い鳥』から『童話』へと移った西條八十と共に、北原白秋と野口雨情は、日本の三大詩人と呼ばれるようになっていきました。
 

(ウ)昭和時代・第二次世界大戦前・戦中

 昭和時代に入ると、児童文学雑誌の人気はしだいに下がっていきました。最も長く発行されてきた『赤い鳥』『金の星』ですらも、1929年(昭和4年)には共に廃刊になってしまいました。さらに、戦争に向けて少しずつ時代の意識が高まっていくと、「童謡」は軟弱な歌であると解釈をされてしまい、一般に聞かれることが少なくなっていきました。他方で「隣組」(1940年(昭和15年)作詞:岡本一平、作曲:飯田信夫)や「戦争ごっこ」のように「戦時童謡」と呼ばれるような歌が数多く作られていくようになりました。一例として、現在は「汽車ポッポ」(作詞:富原薫、作曲:草川信)として知られている歌も、元は「兵隊さんの汽車」という題名であり、出征兵士を歌ったものでした。
 

(エ)第二次世界大戦後

 太平洋戦争が終わった後には、ベビーブームの影響が数多く広がり、子供の歌に関する関心が再び高まっていきました。「ぞうさん」(1948年(昭和23年))や「犬のおまわりさん」(1960年(昭和35年))など、21世紀を迎えた現在でも歌われている多くの歌が作られるようになり、ラジオやテレビで放送された後、さらに普及がなされていきました。「おもちゃのチャチャチャ」(1963年(昭和38年))は作家である野坂昭如が作るなど、著名人の中でも童謡に関わっていった人も数多く出てきました。NHKの番組の中でも、『みんなのうた』や『おかあさんといっしょ』などから、多くの童謡が生まれています。
 
 その後に誕生した、昭和を代表する曲である「ピンポンパン体操」(1971年(昭和46年)、作詞:阿久悠、作曲:小林亜星)、「およげ!たいやきくん」(1975年(昭和50年))や「山口さんちのツトム君」(1976年(昭和51年)、作詞・作曲:みなみらんぼう)、また、平成の代表的な子どもの歌である「だんご3兄弟」(1999年(平成11年))のような大ヒット作品が次々と生み出されていきました。その中で「およげ!たいやきくん」は、日本の音楽史上で最大の500万枚以上とも言われるレコード売り上げを出して、その記録はいまだに破られていない、「昭和の童謡」としての金字塔を立てています。これらは「現代の童謡」のひとつにも挙げられています。
 

(オ)平成・令和時代

21世紀にも入った2000年代である現在では、狭い意味での「童謡」という語は「大人が子供に向けて創作した、芸術味にあふれた豊かな歌謡(=創作童謡、文学童謡)」といった意味で定着しています。一方、近年ではその概念は大きく広げられて「童謡=子供用の歌」としてとらえられるようになり、唱歌、わらべ歌、抒情歌、さらにテレビ・アニメの主題歌など全ての子供の歌を「童謡」という語でひとくくりにしてしまうといった傾向になっていっています。また、同じく近年ではアニメソングといった、テレビや映画アニメに挿入されている音楽といった曲が子どもたちの耳に数多く入っていくようになってしまい、古くからの「童謡」が家庭で歌われることは少なくなっている状況が生まれています。
 
その裏づけとしては次のようなできごとがありました。玩具製造会社の「トミー」(現・株式会社 タカラトミー)が、1997年10月から11月にかけて、全国の就学前の児童・約1,400人を対象に「ぼくの・わたしの一番好きな歌」の人気投票を行いました。それによると、1位には「さんぽ」(アニメ映画『となりのトトロ』のオープニングテーマ)が入り、続いて2・3位には「犬のおまわりさん」と「どんぐりころころ」が入ったものの、4位以下には「アンパンマンのマーチ」「ドラえもんのうた」「めざせポケモンマスター」「ぞうさん」「WAになっておどろう」「アイアイ」「ポケモン言えるかな?」と、上位10曲中アニメソングが5曲を占め、純粋な童謡(唱歌)である4曲よりも多かったという結果になりました・・・。
 
このように、時代の移り変わりと共に「童謡」の解釈もいろいろと変わってきたことがわかりました。でも、いつの時代でも、子どもにも癒しを与える音楽というものがありますよね。そして、それは懐かしい、純真な時代に聴いた、かけがえのない、思い出のいっぱいつまった曲となるのです。そして、それをオトナになってから改めて聞き返すことで、当時の想い出も一緒になってよみがえってくるのです。
 
 
 
「J-Pop・洋楽・K-Pop・演歌・歌謡曲・ジャズ」・・これらの中にもよい曲はたくさんあります。力強い曲、励みになる曲たちもいっぱいあることでしょう。
たとえば、
 
心が折れそうでも投げ出さずに自分を信じることが大事だと歌う、「それが大事」(大事マンブラザーズ)
 
頑張る人に寄り添い応援する「まけないで」(ZARD)
 
自らの手で幸せをつかもうとする思いを壮大な景色とともに表す「大空と大地の中で」(松山千春)
 
目標に向けて我武者羅に努力する姿を遅咲きの桜に重ね合わせて歌う「GOAL」(みのや雅彦)
 
そして、大切な人に思いを届けようとする「白いうさぎの恋結び」(hacto)

これらは1980年代から2000年代にかけて流行した曲です。ジャンルでいえば「ニューミュージック・フォーク」になります。もちろんこれらの曲にも私たちは励まされ、勇気づけられてきたことでしょう。
 
他方、それでも「童謡」のよさはあります。
 
筆者が以前住んでいた砂丘の大地では、正午になると「ふるさと」が、午後6時には「夕焼け小焼け」が、街中で流れています。私はその「ふるさと」や「夕焼け小焼け」を聴くことによって「あのころ」を思い出しながら、「古き良き時代」に思いをはせることができるのです……。
 
みなさんも、改めて今「童謡」にひたってみませんか……。

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山西 敏博(やまにし としひろ) 公立 長野大学 企業情報学部教授 ハイデルベルグ大学(アメリカ)修士課程修了、
大阪大学大学院 博士後期課程 満期単位取得。
現・長野大学 企業情報学部教授。
国際音楽メンタルセラピスト協会会長・日本童謡学会常任理事
高校生NIE研究会理事・新聞教育研究協議会常任理事
グローバル人材育成教育学会、日本CLIL学会、日本NIE学会会員ほか。
「GENIUS英和大辞典」「大学入試問題正解(旺文社)赤本(教学社)」ほか
韓国語版書物を含めて、全62冊の執筆・制作に携わる。